大学時代、放送部にて活動し、DJコンテスト出場をきっかけにイベント司会を始める。

フジテレビ主催のGWスポーツイベントであるWorld Sports Fair参加でテレビメディアに関心を抱き、日本テレビイベントコンパニオン7期のオーディションに合格。日テレの番組アシスタントやレポーター、広報部のアシスタント業務などを行う。黄金世代といわれた7期の同期には、木佐彩子さん・久保純子さん・佐々木明子さんなど。

一方、大学の放送部では、芸能部の部長と渉外を担当し、一流企業と直接交渉して部で開催するイベントのスポンサーを獲得。

知人の紹介で、地元選出議員の衆院選でのうぐいす嬢のアルバイトをきっかけに県議、市議選でも活動し地元でのネットワークを広げた。

大学卒業後、株式会社ディーシーカード(現三菱UFJニコス株式会社)に入社。3年間で営業職、広報、営業戦略、新入社員研修などに携わる。営業職では部内初の大型案件の獲得に成功するなど次第に営業の面白さ、やりがいを感じるようになったが、並行して取り組んでいた週末のイベント司会が多忙になり、アナウンススクールで出会った恩師の協力もあり、株式会社新潟テレビ21(現株式会社新潟テレビ21 UX)に転職。

新潟テレビ21では即戦力として採用されたものの実際には現場経験ゼロのため、プロデューサーに罵倒されたり、報道の現場では取材原稿を「使えない」と捨てられたり、苦渋のスタートとなった。緊張の連続で度々胃潰瘍に苦しむも、一人泣いては「いつか見返してやる」との決意を強く持ち努力を続けた。

ワイドスクランブル(テレビ朝日)レポーターとして水前寺清子さんと月1共演し全国デビュー。降り積もる雪の中、犬ぞりに振り飛ばされたハプニング動画はその年の年末特番でとりあげられた。また、ロシア・ハバロフスクでの日中友好の白夜マラソンに参加するなど海外取材も経験。

1998年1月より株式会社テレビ神奈川(TVK)に転職。神奈川スポーツイヤーだったため、横浜高校春夏連覇(松坂大輔投手を取材)、横浜ベイスターズ日本一(特番MC、オフィシャル番組MC)など慌ただしい日々を送る。

初担当番組は、川崎市の広報番組「情報宝島かわさき」で山本晋也監督と共演。教えていただいたアナウンサーの心構えは後の礎となる。

その後、昼の人気情報番組「HAMA大国」の金曜(のち水・金)メインキャスター、TVKニュース930、ベイスターズくらぶ(球団公式番組)、高校野球ニュースなど幅広く担当。

2000年より人気長寿番組「新車情報」アシスタントとして自動車ジャーナリストの三本和彦さんと共演。

2001年には横浜フィルムコミッションへ協力の形で、レポーター役としてゴジラ映画(ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃)に出演。

2005年3月、局アナとして10年の節目の年、担当していた「新車情報」放送終了を機にTVKを退社、フリーに。

株式会社エス・オー・プロモーションに所属。

野村證券の対談番組「野村の自由学校」のMCとして芸能人・著名人と対談。

日テレG+ニュースなどを担当、新聞取材の裏側に触れる。

その後もミッキー安川の真剣勝負!(BS朝日)、小西克也氏とのINsideOUT 水曜アシスタント(BS11(BS11ch))、J:COM「Business View」ナビゲーターの仕事では多くの経営者へのインタビューを経験する。

その後2007年より大前研一ライブのオーディションに合格しキャスターに就任。ビジネス・ブレークスルー(SKY PerfecTV!757ch、現 Business Breakthrough Ch)において大前研一ライブ以外にも、多くのビジネス番組に出演。大前研一氏を団長とする経営者の海外視察にも同行し、各国のユニークな企業の取り組みを取材するなど、毎年100名近い経営者と交流。

ロボットベンチャー企業より業務委託を受け、ロボット関連の音声サービス、イベント司会などを行う。

2020年より株式会社インカムアップが運営するYouTube番組「所得向上委員会」にてメインキャスター、金融教育講座でのメインキャスターを務める。

2023年、株式会社エス・オー・プロモーションから独立。エースクエア合同会社を設立、CEOに就任。