この動画は、元プロ野球選手で、いまはPaidy(ペイディ)副社長を務める橋本知周さんが、自身のキャリアの原点を初めて語る回です。 テーマは華やかな成功物語ではなく、19歳で大学を辞めて単身アメリカへ渡ったという、一つの決断の中身です。 見ると、大きな挑戦が「勢い」だけではなく、憧れと現実の両方でできていることが伝わってきます。
なぜ、これまで自分を語ってこなかったのか
橋本さんは、これまで個人としての取材をほとんど受けてきませんでした。 理由はシンプルで、過去の経歴ではなく、今のビジネスに集中したかったからだと話します。
楽天で何をしてきた橋本、ではなく、いまのPaidyの橋本として発信したい。 その思いが強く、野球や過去のキャリアに触れる機会をあえて避けてきたと振り返ります。
では、なぜ今回は語る決断をしたのか。 一つは、49歳を迎え、自分が積み重ねてきたものを次の世代へ残したいという思いです。
もう一つは、会社の変化です。 Paidyの社員は約300人にまで増え、創業期の思いを知らないメンバーも多くなりました。 副社長という立場の人間が、どんな経験を通じて何を考えているのか。それを伝える機会として、この対話を受けたと語ります。
19歳の決断を動かした、野茂英雄という存在
橋本さんの野球は、小学校から続いていました。 高校時代にはプロチームとの接点もありましたが、父親の「大学は出ておけ」という現実的な言葉に従い、いったんは東京の大学へ進みます。
転機は大学1年のときでした。 テレビの向こうで躍動していたのが、メジャーリーグに渡った野茂英雄投手です。
日本ではなくアメリカの舞台で活躍する日本人の姿に、橋本さんは強く惹かれます。 もともと「日本のプロ野球選手になりたい」だった夢が、「いつかあの場所で戦いたい」へと大きく膨らんだ瞬間でした。
ちょうどこの頃、メジャーの目が日本のアマチュア選手にも向き始めます。 完成された一流選手を連れて行くだけでなく、有望な若手をマイナー組織で育てるという流れが生まれていた時期でした。
その一環として、あるチームが日本人向けのトライアウトを実施します。 橋本さんはこの機会をつかみ、アメリカで行われた選考に日本から参加することになりました。
反対されると思った父が、背中を押した
アメリカ行きには、大きな迷いがありました。 父親からは「大学の4年間は行け」と言われていたからです。
それでも橋本さんは、正直に自分の気持ちを伝えます。 「アメリカで野球をやりたい。このチャンスをつかみたい」。すると父親は、意外にもすぐに賛成してくれました。
理由を直接聞いたことはない、と橋本さんは言います。 ただ今になって思うのは、初めて自分の意思をはっきり示したことを、父親が受け止めてくれたのではないか、ということです。
トライアウトは1週間。 「必ず誰かを採る」という保証はなく、実力が足りなければ全員不合格もあり得る、厳しい選考でした。
幸運だったのは、参加者の中でキャッチャーが橋本さん一人だったことです。 毎試合出場でき、見てもらえる機会が多かった。最終日に契約のオファーを受け、1990年11月に契約、翌年1月にはもうアメリカへ。迷う間もないほど慌ただしい船出でした。
マイナーリーグで直面した、想定外の現実
思い描いていた通りだったのは、ほんの一部でした。 最初の想定外は、英語の必要性です。スポーツは言葉がなくてもできる、という思い込みは早々に崩れます。
さらに驚いたのは、野球そのものの違いでした。 ルールは同じでも、選手に求められるものが違う。30年前にもかかわらず、チームでは選手一人ひとりのデータが徹底的に管理されていたのです。
根性で押し切る日本の野球とは対照的に、効率を重視し、どこで起用に歯止めをかけるかまで数字で判断される。 活躍したくても、活躍の場そのものが管理されている。その環境に、橋本さんは戸惑いを感じたと語ります。
文化の面でも発見がありました。 日本人として認識されることは少なく、アジア人としてひとくくりにされる。最初は驚いたものの、「アメリカへ野球をやりに来ているのだから国籍は関係ない」と、次第に受け止められるようになっていきます。
生活は、想像以上に質素でした。 一番厳しい時期の月給は700ドル。住まいは球団が用意するホテル暮らしで、朝食と昼食はクラブハウス、夕食代として毎日12ドルが現金で支給されました。
橋本さんはその12ドルを毎日きっちり使い切っていたそうです。 一方、ドミニカ出身の選手たちは数人でお金を出し合い、豆などの食材を買って煮込み、みんなでシェアしていました。 同じ環境でも、性格や背景で過ごし方が分かれる。そんな小さな対比が、当時のリアルを生き生きと伝えてくれます。
用具も住居も球団負担で、私生活で大きく使う場面は少なかったといいます。 華やかなメジャーの手前で、若き日の橋本さんが何を見て、何を感じていたのか。その原点が、静かな語り口の中に詰まった一本です。
※本記事は、2026年6月26日公開時点の動画内容をもとに構成しています。
※所属・肩書き・当時のレートや金額は、収録時点の本人の語りに基づく表現です。
※本記事は、特定の進路や働き方を推奨するものではありません。