「先に言ったら負け」は本当か

見積もりの打ち合わせで、先方から「ご予算はどのくらいですか」と聞かれる。こちらも「まずは御社のお考えを」と返す。数字を先に出すと手の内を見せることになり、損をする気がするからです。

この感覚には、もっともな面があります。先に出した数字が相手の予想より控えめなら、本来得られたはずの分を自分から手放すことになります。相手が何を考えているかわからないうちは、様子を見たくなるのは自然です。

ところが、交渉の研究はこの通説とは逆の結果を示しています。実験では、先に数字を出した側のほうがよい結果を得ていました。ただし、それには条件があります。この記事では、その条件まで含めて見ていきます。

最初の数字が基準点になる仕組み

出発点になるのは、Tversky 氏と Kahneman 氏が1974年に整理した、不確実な状況での判断のくせです。2人は、人が確率や数量を見積もるときに使う簡便な判断の方法として、代表性、思い出しやすさ、そして「アンカーからの調整」の3つを挙げました。

数値を予測するとき、人は手近にある値を出発点にし、そこから上げ下げして答えを決める傾向があります。この出発点がアンカー(錨)です。こうした簡便な判断は多くの場合うまく働きますが、系統的で予測できる誤りも生むと2人は述べています。調整が出発点に引き寄せられたまま終わりやすい、というのがその一つです。

なお、この論文は交渉を調べたものではなく、不確実な判断一般についての整理です。それでも、価格交渉にはこの仕組みが働きやすい条件がそろっています。相手の下限や本当の予算は見えず、最初に出た数字が、手がかりの少ない中で目に入る数少ない値になるからです。

先に提示した側が有利になった実験

交渉の場でこの仕組みを確かめたのが、Galinsky 氏と Mussweiler 氏の研究です。2人は3つの実験で、買い手と売り手に分かれた参加者に価格交渉をしてもらいました。

結果は一貫していました。買い手であれ売り手であれ、先に提示した側のほうがよい結果を得ており、最初の提示額は最終的な合意価格を強く予測していました。この傾向は、対面の交渉でもメールでの交渉でも見られました。

つまり「先に言ったら負け」という通説は、少なくともこの実験の条件では当てはまりませんでした。先に出された数字は、相手の判断の基準点として働き、その後のやりとりを自分に近い側へ引き寄せたと考えられます。

ただし、ここで「必ず先に言うべきだ」と結論づけるのは早すぎます。同じ研究には、先手の有利が消えた条件も含まれていたからです。

相手の最初の数字に引きずられない方法

先手の有利が消えたのは、後から応じる側が、相手の提示とは別の情報に注意を向けたときでした。具体的には、次のいずれかを考えた場合です。

  • 相手の代替案 — この交渉がまとまらなかったとき、相手にはどんな選択肢があるか
  • 相手の留保価格 — 相手がこれ以上は譲れないと考えている額
  • 自分の目標 — 自分がこの交渉で得たいと考えている額

これらに注意を向けた後手は、相手の最初の数字に引きずられにくくなり、先手の有利は打ち消されました。

この結果は、先に言う側にとっても、言われる側にとっても意味があります。相手から高い見積もりや低い指値を先に出されたときは、その数字を出発点に交渉を組み立てる前に、「この相手は、ほかにどんな選択肢を持っているか」「自分はいくらを目指していたか」を思い出すことです。相手の数字に応じる前に、自分の側の数字に視線を戻す。それだけで、基準点の影響は弱まりうるということです。

たとえば、相手から想定より低い予算を先に示されたとき。「そのご予算ですと、ご提案できる範囲が限られます。私どもでは、同規模の案件は〇〇万円前後でお受けしています」と、自分の基準を言葉にして返す方法があります。相手の数字を否定するのではなく、もう一つの基準点を場に置くということです。研究で比べられた言い方ではありませんが、自分の目標に注意を戻すという実験の条件を、会話の形にしたものです。

裏返せば、相手がこうした準備をしている場合、先に言う有利はあまり期待できません。先に言うかどうかよりも、自分の側の数字を持っているかどうかのほうが、結果を左右しやすいと言えます。

幅で提示すると何が起きるか

「〇〇万円から〇〇万円の間で」と幅を持たせて提示する方法もあります。幅で示すと、受け手は自分に有利な端だけを聞き取る、という見方があります。買い手なら、安い側の数字だけが耳に残るというわけです。

Ames 氏と Mason 氏は、台本に沿った交渉場面と、実際に2人で行う交渉を組み合わせた5つの研究で、この見方を確かめました。受け手は有利な端だけでなく両端の影響を受けており、ある種の幅の提示は、関係を損なわずに提示した側の合意条件をよくしました。別の種類の幅の提示では、合意の条件を損なわずに、関係の面での利点が得られました。

2人はその仕組みとして2つを挙げています。一つは、幅の両端がどちらも「この人の下限はこのあたりだ」という手がかりとして読まれること。もう一つは、幅を示された相手にとって、そこから大きく離れた対案を出すことが失礼に感じられやすくなることです。

ただし、どんな幅でも有利になるわけではありません。研究では、幅の広さや極端さによって効果に限界があることも示されています。幅で示すなら、どちらの端を相手が受け取っても自分が受け入れられる額にしておくのが、研究の結果から考えた実務上の目安です。

極端な数字が関係を損なう場面

先に言う側が有利なら、できるだけ極端な数字を出せばよいのか。ここは研究から直接言えることが限られるため、実務上の注意として読んでください。

一度きりの売買なら、強気の数字で始める余地はあるかもしれません。しかし、継続的な取引や社内の予算調整のように、同じ相手と何度も話す場面では事情が違います。根拠のない極端な数字は、相手に「この人は駆け引きをしている」と受け止められ、その後の話し合い全体を疑いの目で見られるおそれがあります。

Ames 氏と Mason 氏が挙げた仕組みの一つは、大きく離れた対案が失礼に感じられるという、礼儀の感覚でした。提示の受け止め方は、数字の大小だけでは決まらないということです。数字は、相手との関係の中で受け取られるという点は、極端な提示を考えるときにも忘れないほうがよいでしょう。

数字の前に置く一言

ここまでの研究を、商談の場面に置き換えて整理します。中心になるのは、次の3つです。

交渉で最初の数字を扱う3つの視点。最初に出た数字が基準点になる・数字の前に根拠を添える・幅で示すときは両端とも受け入れられる額にする
図|交渉で最初の数字を扱う3つの視点
  1. 基準点 — 最初に出た数字が、その後の話の基準になる
  2. 根拠 — 数字の前に、なぜその額なのかを一言添える
  3. 幅 — 幅で示すときは、両端とも受け入れられる額にする

2つ目は研究で直接比べられた点ではありませんが、先に数字を出すときの不安を和らげる工夫です。数字だけを投げると、相手はその数字が妥当かどうかを手がかりなしに判断することになります。

  • 「同規模の研修を3回実施した実績から、今回は〇〇万円を想定しています」
  • 「準備に2か月かかる内容なので、〇〇万円でお願いできればと考えています」

根拠を先に置けば、数字は単なる駆け引きではなく、説明のついた提案として受け取られやすくなります。商談の前段で相手との関係をつくる話し方は、営業の「雑談」を成果につなげる設計で扱っています。

日本の商談で「先に言わない」が続く理由

日本の商談で数字の切り出しが遅れやすいのは、損をしたくないという計算だけが理由ではないように見えます。先に強い数字を出すことが、相手への遠慮を欠く振る舞いに見えるのではないか、という配慮も働いていると考えられます。これは研究で確かめた点ではなく、現場でよく見られる様子からの推論です。

ただ、譲り合いが続くと、結果として相手が先に数字を出し、その数字が基準点になります。配慮のつもりで黙っていることが、相手の数字を基準に話を進めることにつながる場合があるわけです。

先に数字を出すことと、相手への敬意は両立します。根拠を添え、幅を持たせ、相手の事情を聞く姿勢を示せば、一方的な要求にはなりません。相手の対案を受け入れられないときの断り方は、断っても関係が壊れない人は、何を言っているのかが参考になります。

準備しておく3つの数字

先に言うにしても、言われるにしても、交渉の前に用意しておきたい数字があります。Galinsky 氏と Mussweiler 氏の研究で、相手の数字に引きずられにくくなったのは、相手の代替案や下限、自分の目標に注意を向けたときでした。これを準備の形に直すと、次の3つになります。

  • 希望の額 — 自分がこの交渉で目指す額。先に提示するなら、ここが出発点になる
  • 下限の額 — これを下回るなら合意しないほうがよい額。相手の数字を聞いても動かさない
  • 根拠 — 希望の額を説明する事実。実績、工数、相場など、相手が確かめられるもの

あわせて、相手の側の事情も一度考えておきます。この取引がまとまらなかったら、相手はほかにどんな選択肢を持っているか。相手にとって譲れない線はどのあたりか。答えが確かでなくても、考えておくだけで、相手の最初の数字を唯一の手がかりにせずに済みます。

この3つを紙に書いてから商談に臨めば、先に言うかどうかは、その場の状況に応じて選べるようになります。相手の情報が少なく、自分の根拠がはっきりしているなら、先に出す。相手が先に出してきたら、書いておいた数字に視線を戻してから応じる。どちらの順番になっても、自分の数字を持っていることが判断の軸になります。

まとめ

最初に出た数字は、その後の判断の基準点になりやすく、交渉の実験では先に提示した側がよい結果を得ていました。一方で、後から応じる側が相手の代替案や下限、自分の目標に注意を向けると、その有利は消えました。幅で示す提示は、受け手に両端の影響を与えますが、幅の広さや極端さによって効果には限界があります。

中心になるのは、最初の数字が基準点になると知っておくこと、数字の前に根拠を添えること、幅で示すなら両端とも受け入れられる額にすることの三つです。先に言うか後に言うかより、自分の数字を準備して臨むことが、交渉の結果を分けます。

参考文献・出典

  • Ames, D. R., & Mason, M. F. (2015). Tandem anchoring: Informational and politeness effects of range offers in social exchange. Journal of Personality and Social Psychology, 108(2), 254-274. https://doi.org/10.1037/pspi0000016
  • Galinsky, A. D., & Mussweiler, T. (2001). First offers as anchors: The role of perspective-taking and negotiator focus. Journal of Personality and Social Psychology, 81(4), 657-669. https://doi.org/10.1037/0022-3514.81.4.657
  • Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). Judgment under uncertainty: Heuristics and biases. Science, 185(4157), 1124-1131. https://doi.org/10.1126/science.185.4157.1124