納得したのは、内容のせいだったのか
提案を聞き終えて、その場で「わかりました、それで進めてください」と答える。説明はよどみなく、資料は整理され、話の筋も通っていた。だから納得した。私たちは、自分の判断をそう説明します。
けれども、時間を置いてから同じ提案を文章で読み返すと、印象が変わることがあります。前提の根拠が薄い、数字の出所がない、都合の悪い条件に触れていない。聞いているあいだには浮かばなかった疑問が、後から出てくる。
このとき起きているのは、内容の評価と、受け取りやすさの評価が混ざってしまうという現象です。認知科学では処理流暢性と呼ばれ、情報を処理するのがどれくらい楽だったかという感覚が、その情報が正しいかどうかの判断に紛れ込むことが報告されてきました。
やっかいなのは、この混ざり方が自覚されないことです。「説明がうまかったから信じた」と思う人はほとんどいません。多くの場合、私たちは「内容が納得できたから信じた」と感じます。
処理のしやすさが、判断に混ざる仕組み
もっとも単純な形でこれを示した実験があります。Reber 氏と Schwarz 氏は1999年、「Osorno はチリにある」といった形式の文を画面に出し、正しいかどうかを判断してもらいました。操作したのは文の中身ではなく、白地に対する文字の色だけです。
結果は、読みにくい色で出した文の「正しい」という判断が偶然の水準にとどまったのに対し、読みやすい色で出した文は偶然の水準を有意に上回って「正しい」と判断されました。同じ文でも、目に入りやすいだけで真偽の判断が動いたことになります。
この実験が扱ったのは、画面に表示された短い文の色だけです。話し方や資料の作り込みにそのまま置き換えられるものではありません。それでも、受け取りやすさという感覚が真偽の判断に混ざりうることを、ほかの要素を削ぎ落とした形で見せている点に意味があります。
私たちは判断のたびに材料を一から検討しているわけではなく、手元にある感覚を手がかりにします。処理が楽だという感覚は、見慣れたものに触れたときに生じやすい。だから脳はその感覚を、「これは確からしい」という信号として読み替えてしまうと説明されています。
流暢さそれ自体が悪いわけではありません。問題は、この近道が働いていることに気づかないまま、重い判断まで同じ近道で済ませてしまうことにあります。
流暢さが働く3つの場面
仕事の場面でこの効果が顔を出すのは、おおむね次の3つです。
- 理解 — わかったという感覚が、理解できたことの証拠として扱われる
- 記憶 — 何度も耳にした表現が、確かめられた事実のように感じられる
- 信頼 — 話し手の淀みのなさが、話の中身の評価へ移っていく
理解 — わかった感覚は、わかったことと別
滑らかに聞けた説明は、その場では完全に理解できたように感じます。ところが翌日、同じ内容を自分の言葉で誰かに説明しようとすると、途中で詰まる。研修の場で起きるこのずれについては「研修で「わかったつもり」が起きる仕組み」で詳しく扱いました。
ここで取り上げたいのは、学習者ではなく意思決定者の側で起きる同じずれです。会議で提案を聞き、わかったと感じ、その感覚を根拠に承認する。このとき「わかった」が指すのは、多くの場合、話の筋を追えたという意味でしかありません。前提が妥当か、他の選択肢と比べてどうか、うまくいかない条件は何か。まだ検討されていません。
現場でよく見る誤解が、質問が出ないことを理解の証拠と受け取ることです。説明がわかりやすいほど質問は減りますが、それは疑問が解消したからとは限りません。疑問がまだ形になっていないだけのことが多い。
比喩を使った説明では、この傾向が強まります。うまい比喩は理解を早め、同時に「もうわかった」という感覚も早く与えます。仕組みは「たとえ話が理解を助ける理由」で扱いましたが、副作用として、比喩の届く範囲の外にある論点が検討されずに残ることがあります。
記憶 — 繰り返し聞いた話は、本当らしくなる
流暢さは、繰り返しからも生まれます。一度見た文は二度目には処理が楽になり、その楽さが確からしさの感覚を押し上げます。
Hasher 氏、Goldstein 氏、Toppino 氏は1977年に、同じ文をくり返し提示すると、その文の正しさの評価が上がることを報告しました。文の内容が変わったわけではなく、接触した回数だけが違うのに、評価が動いたということです。この現象は錯誤真実効果として、その後も繰り返し検討されてきました。
では、その話題を知っていれば防げるのか。Fazio 氏、Brashier 氏、Payne 氏、Marsh 氏は2015年、従来の「知識があれば効果は抑えられる」という前提を検証しました。実験では参加者が正しい知識を持っている場合でも、繰り返しによって正しさの評価が上がりました。研究者らはこれを、知識が使えるのに使われない状態と表現しています。
仕事の場で言えば、社内で何度も回った表現、複数の資料に転記された数字、会議のたびに前置きとして語られる前提。これらは、誰も出所を確認していなくても、確かめられた事実のような顔をしはじめます。
対処は、回数ではなく出所をたどることです。「何度も聞いた」は根拠になりません。最初にそれを言ったのは誰で、何をもとにしていたか。その一段だけ戻る習慣があれば、繰り返しが生む確からしさはかなり打ち消せます。
信頼 — 淀みのなさが、内容の評価に移る
3つ目は、話し手の印象を経由する経路です。
Miller 氏らは1976年、話す速さと態度変化の関係を2つのフィールド実験で調べました。話す速さを、話し手の信頼性の高さと、メッセージの複雑さとそれぞれ組み合わせて操作しています。結果として、速い話し方は説得力を高め、話す速さは信頼性を押し上げる一般的な手がかりとして働いていました。一方、速さの効果を情報処理の観点から説明する解釈は支持されず、聞き手が反論を組み立てる余裕を奪ったためでもありませんでした。
この結果を「速く話せばよい」と読むのは行き過ぎです。研究が扱ったのは特定の条件下での説得への影響で、理解のしやすさとは別の話です。速すぎる話が理解を妨げる側面については「早口の話が理解されにくい理由」で扱いました。
受け取るべきなのは、届け方の特徴が、内容とは独立に評価へ影響しうるという点です。言いよどみのなさ、間の取り方、語尾の安定。本来は提案の妥当性と無関係のはずですが、聞き手の評価には入り込みます。声の高さについても同じ注意が要ることは「低い声は信頼されるのかという通説」で整理しました。
裏返せば、話すのが苦手な人が損をする構造でもあります。言葉に詰まりながら話した提案が、内容の質とは別の理由で低く見積もられる。判断する側が意識すべきなのは、この非対称です。
聞き手として、このずれをどう防ぐか
流暢さの影響を意志の力で打ち消すのは現実的ではありません。感覚が生じること自体は止められないからです。できるのは、判断の手続きを少し変えることです。
- 根拠を言葉にしてから決める — 「何が決め手だったか」を一行書く。書けなければ、まだ判断材料が揃っていない
- 説明の質と提案の質を別に採点する — わかりやすかったかと、妥当かは、別の欄に書く
- 数字は出所とセットで受け取る — 誰が、いつ、どういう方法で出した数字かを確認する
- 重い判断は一度持ち帰る — 流暢さの効果はその場で強く働く。時間を空けると内容の評価が前に出る
- 資料を読んでから会う順序にする — 説明を聞く前に文章で読むと、疑問が先に出やすい
話し手として、この効果をどう扱うか
ここまでの話は、「わかりやすく話すのはよくない」という結論にはなりません。伝わらない説明は相手の時間を奪いますし、わかりにくさは誠実さの証明でもありません。線を引くべきなのは、わかりやすさを正しさの代わりに使わないことです。具体的には3つあります。
一つ目は、不確実なところを不確実なまま渡すことです。「この前提が崩れると結論が変わります」「この数字は暫定です」と言い添えるだけで、聞き手は自分で重みをつけ直せます。滑らかさのために曖昧な部分を丸めると、相手は判断材料を失います。
二つ目は、繰り返しを理解のために使い、裏づけの代わりにしないことです。同じ表現を何度も出すと定着はしますが、その定着は根拠が増えたことを意味しません。繰り返すなら、結論ではなく根拠のほうを繰り返すのが筋です。
三つ目は、相手が反論しやすい形を残すことです。完璧に閉じた説明は気持ちよく聞けますが、疑問の入り口がありません。「ここが弱いところです」と自分から開けておくと、検討が先に進みます。話の閉じ方については「話の終わりだけが記憶に残るのは、なぜか」も参考になります。
わかりにくく話すべき場面はあるか
処理しにくさが役に立つ場合もあります。Diemand-Yauman 氏、Oppenheimer 氏、Vaughan 氏は2011年、読みにくい書体で提示した情報のほうがよく記憶されることを、統制された実験室の研究と高校の教室の両方で報告しました。処理しにくさが、より深い処理を引き出すという説明です。
ただし、これは学習材料の書体を変えた研究であって、話し方の研究ではありません。わざと聞き取りにくく話せば理解が深まる、という話に読み替えることはできません。
実務に持ち込めるのは、方向だけです。相手に一度立ち止まってもらう仕掛けを、説明の中に置く。要点を口に出して言い直してもらう。数字の意味を相手の事業に当てはめて話してもらう。決める前に懸念を一つ挙げてもらう。どれも説明をわかりにくくするのではなく、滑らかに流れていく時間に、意図的な節をつくる工夫です。
まとめ
処理しやすいという感覚は、その情報が正しいかどうかの判断に混ざり込みます。読みやすい色で出した文が正しいと判断されやすくなり、繰り返し提示された文の評価が上がり、その効果は正しい知識を持っている人にも働きました。話す速さのような届け方の特徴も、内容とは独立に評価へ影響します。
ここから導けるのは、わかりやすさを避けよという教訓ではありません。わかりやすさは、理解を助ける道具であって、正しさの証拠ではないということです。
聞き手としては、根拠を言葉にしてから決める、数字は出所とセットで受け取る、重い判断は一度持ち帰る。話し手としては、不確実さを丸めない、結論ではなく根拠を繰り返す、反論の入り口を開けておく。どちらの側でも、やるべきことは流暢さを減らすことではなく、流暢さとは別の手がかりを判断の手順に組み込むことです。
参考文献・出典
本記事で触れた研究の一次情報は以下のとおりです。
- Reber, R., & Schwarz, N. (1999). Effects of perceptual fluency on judgments of truth. Consciousness and Cognition, 8(3), 338–342. https://doi.org/10.1006/ccog.1999.0386
- Hasher, L., Goldstein, D., & Toppino, T. (1977). Frequency and the conference of referential validity. Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior, 16(1), 107–112. https://doi.org/10.1016/S0022-5371(77)80012-1
- Fazio, L. K., Brashier, N. M., Payne, B. K., & Marsh, E. J. (2015). Knowledge does not protect against illusory truth. Journal of Experimental Psychology: General, 144(5), 993–1002. https://doi.org/10.1037/xge0000098
- Miller, N., Maruyama, G., Beaber, R. J., & Valone, K. (1976). Speed of speech and persuasion. Journal of Personality and Social Psychology, 34(4), 615–624. https://doi.org/10.1037/0022-3514.34.4.615
- Diemand-Yauman, C., Oppenheimer, D. M., & Vaughan, E. B. (2011). Fortune favors the bold (and the Italicized): Effects of disfluency on educational outcomes. Cognition, 118(1), 111–115. https://doi.org/10.1016/j.cognition.2010.09.012